20260331_月刊「東京人」2026年4月増刊 特集「立教女学院の150年」_05

    Tim Marchin
    By Tim Marchin
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    20260331_月刊「東京人」2026年4月増刊 特集「立教女学院の150年」_05
    れに衝撃を受けた。後で考えても素晴らしいパイプオルガンなんですよね。礼拝堂自体が楽器。共鳴する、包まれる、包まれて昇天するような空間ですから。
    厳さを感じるとは思いますが、ユーミンの耳
    ねいろ酒井 パイプオルガンの音色には、誰しも荘があったからこそ、それが栄養になり、作曲につながっていったのでしょうね。キリスト教に対しては、どういう感覚をお持ちでしたか。
    松任谷 週に一度、聖書の時間がありました
    よね。内容に反発したり、疑問に思ったりし
    た覚えがあります。でも、それだけ興味があったからだと思うんですよ。坂下門近くにあったチャプレン(学校付牧師)のお宅に何人かでうかがって、疑問をぶつけたこともありま
    した。多分、旧約聖書の内容で「こんな超常現象みたいなことはあり得ないのでは」みたいなことだったと思います。
    酒井 聖人が何百年も生きていたりしますしね。
    松任谷 そうそう。でも今は逆に、そういうこともあるかもしれない、と思うんです。ともあれ、キリスト教の基礎的な知識があると、とても便利ですよね。絵画を見るときも、 文学でも音楽でも理解に役立つから。
    酒井 「おおぞら」のインタビューでは、「みなさんが一番興味ある人」として紹介されています。学校の人たちは、みんなユーミンの作曲活動を知っていたのですか?
    松任谷 中三のとき、私が作曲しているということで「セブンティーン」に私の記事が出
    たことがあるんですよ。その雑誌が吉祥寺や
    三鷹台辺りの本屋さんで軒並み売り切れたらしくて。その後、先生に呼び出されました。 雑誌に出るとか、アルバイトするとかは学校で禁止されていたから。
    酒井 高校時代には、すでにお仕事も始めていらしたんですか?
    松任谷 まだ仕事にはなってなかったけれど、 学校帰りに井の頭線とバスを乗り継いで、三
    田にあったアルファミュージックという音楽系出版社に行って、自分の曲を見てもらっていました。かと思うと、吉祥寺から中央線で御茶ノ水に行って、御茶の水美術学院というところにもよく顔を出していましたね。知り合いの浪人生たちに喫茶店やジャズスポットに連れて行ってもらっていました。
    酒井放課後には、同級生とは全然違う世界がひろがっていたのですね。高校生で音楽活動されることに、親御さんの反対は?
    松任谷 全くなかったです。うちは商家ですから、毎日決まった時間に家族が揃って食事をするような家ではなかったし、人の出入りがすごく多かったので、世の中にはいろんな人がいることを子どもの頃から見てきました。立教女学院に入ってからも、ここにいながらにして、うまいこと外の世界も見ていましたね。 はいろ
    歌に描かれる立教女学院。
    酒井 女子校という環境はいかがでしたか?
     
     
    講堂の舞台脇にあるピアノ室。
    ユーミンの在学中は3畳程度の部屋が10部屋ほどあり、
    誰でも自由にピアノを弾くことができた。
    「ベルベット・イースター」は、この部屋から生まれている。
    「高校時代は、お昼休みと放課後はここにいました。
    栄喜堂でパンを買って、
    ここで食べながら曲を作っていましたね」(ユーミン)