ユーミンのインタビューが以下のサイトに掲載されています。
■音楽ナタリー
松任谷由実「音楽で刻んだ2020年の記録」
https://natalie.mu/music/pp/yuming03
松任谷由実が約4年ぶりのオリジナルアルバム「深海の街」を12月1日にリリースした。世がコロナ禍へと突入した今春、ユーミンは制作と向き合えない精神状態に陥っていた。かつてごく短い期間だけ自ら音楽と距離を置いた時期こそあったが、今回のような閉塞感は48年のキャリアの中でも初の経験だったという。彼女はそんな時間とどのように向き合い、本作を完成させたのか? その制作背景から創作のフィロソフィーまでを聞いた。
取材・文 / 内田正樹
──本作の制作は初夏からスタートしたそうですが、今春のステイホーム期間はどのように過ごされていましたか?
4月、5月は家から一歩も出なかった。アーティストとしてはまったく機能していなかったし、何よりも人と自由に会えないことが本当につらかったですね。実は昨年から、次のアルバムは「SURF & SNOW」(1980年発売の10thオリジナルアルバム)の40年ぶりの続編「SURF & SNOW VOLUME TWO」にしようと準備を進めていたんです。
──そうだったんですか!?
近未来型の“脳内リゾート”をテーマに、部屋にいながらにしてチルアウト気分やリゾート感覚を味わってもらえるようなアルバムにしようと。でも、そんなムードも新型コロナで一気に吹き飛んでしまって。
──そうでしょうね。そこからはどう過ごされていましたか?
プロデューサー(松任谷正隆)は新たな糸口を見つけようと、ずっと自宅のスタジオで打ち込み作業を続けていましたね。私は家事と自分の体のメンテをしながら、規則正しい生活のリズムを心がけつつ、CDライブラリーをアルファベット順のAから順に漁っていました。毎日、朝は2人でお茶を飲みながら音楽の話題や、そうじゃない話題もいろいろと話し合って。でも、6月になると、私はさらに強い焦燥に襲われてしまって。「今は音楽どころではない」「自分のクリエイティビティはここで錆びついてしまうのか?」。そんなふうに塞ぎ込んでしまうこともありました。
──これまでに同じような経験は?
いえ。デビュー以来、経験したことのなかった閉塞感でした。
──そこからどのように制作へと意識を転換させたのですか?
7月に入って、ライブラリーのLまでたどり着いた頃、無理やり自分を奮い立たせたんですよ。「今のこの思いをしっかり記録しておくべきだ」と。のちの世界史に大きく刻まれるはずの未曾有の年なのに、「今記録しないでどうするの?」と。何より、このまま音楽を作らないと、私はかえって心身をおかしくしてしまうと気が付いて。私にとって創作とは自分を見つめる作業だから、苦しくても自分を見つめなければ未来も見えてこない。まず自分自身を救済してあげないと、何も話が進まない。たとえ発狂のリスクがあるとしても、私自身のために、自分の奥底に深くもぐって何かをつかみ取りにかからなければと思って。
──なるほど。
逆にチャンスだと思うことにしました。来年だと、もしかしたら自分の危機感も薄まっているかもしれないし、もしくはもっと疲れてしまっているかもしれない。今このタイミングでアルバムを出すという行為そのものに、これまで音楽をやってきた自分なりの姿勢を反映させたかった。だから今年中のリリースにこだわって、自宅のスタジオでレコーディングを始めました。
──ご自宅のスタジオというのは、どんな規模感なのでしょうか?
16年前に作ったスタジオで、宅録レベルではなく本格的なレコーディングに対応する規模の設備です。当時、LAで訪れたスタジオを参考に、温かみのあるウッディなリビングの延長にコンソールがあるという感じ。崖の途中に建っている家の地下階にあって、一方が窓、三方が土に埋まった状態です。維持には苦労させられるけど、これを作っておいたのは松任谷(正隆)の先見の明ですね。当時から「これからは自分で発信ができなきゃダメだ」と断言していましたから。私の先見の明と松任谷さんの先見の明はいつもまったく異なる。でもそれがいいんでしょうね。
──制作は順調に進みましたか?
ときどき突き上げられるような不安に襲われ、泣きそうになる場面もありました。それでも年内中にリリースすることに強いこだわりがあったので、なんとかがんばれました。きっとこれから先も忘れない、思い出深いレコーディングになりました。
──1曲目は「1920」というタイトルです。これは西暦でしょうか?
はい。今年の5月、私の母が100歳を迎えまして。調べてみると100年前の1920年(大正9年)とその前後の頃って、スペイン風邪とかアントワープオリンピックとか、この2020年との共通項がいくつも見つかって、そこからイメージが広がりました。
──ベル・エポックを経て大恐慌が起こる前夜、言わば“狂騒の20年代”ですね。
そう。歌詞に「ギャツビー」が登場していますが、フィッツジェラルドの「楽園のこちら側」(1920年出版)が昔から好きなので。
──演奏はベースとキーボードのみで奏でられています。
シンプルな編成だけど無心で聴いていたら冒頭のディレイから脳を刺激されて、音の隙間、つまりは“行間”からたくさんの情報が読み取れ、すぐに「アネモネ色」が見え、「振り子時計」の音が聴こえてきました。自分が存在しなかった時代を見てきたかのように描く。そんな行為に自分自身を追い込むことで、新たな扉が開けた思いです。
──続いての「ノートルダム」は、「1920」と連作のような関係性にあると感じられますが。
そうですね。この2曲を書き上げたとき、アルバムの全体像に明確な手応えが感じられました。ディストピアとユートピア、天使と悪魔が同居しているようなパリのノートルダム大聖堂は昔から好きな場所で。でも、去年4月の火災で消失してしまった。そのニュースを観たとき、悲しみと同時にとても不安な、なんだかこの世の結界が壊れるような予感に襲われて。そのときの思いを曲にしました。特に「重なる白骨を引き離すとき 砂になって崩れる」という歌詞は、自分でも究極のロマンティシズムだと思っていて。
──歌詞には今回のコロナ禍の状況も反映されていますね。
ヨーロッパ全体が喪に服しているような情景です。本当の意味でゴシックな描写を落とし込んだ、あまり類を見ないポップスが書けたという自負がある。アルバムの中でも1、2を争うお気に入りのナンバーになりました。パリはとても好きな街だから、また自由に歩けるようになるといいなという願いも込めて。早くあちこち旅ができるようになるといいですね。
──次の楽曲「離れる日が来るなんて」は、歌詞の「白い息が消える空 明(さや)けく星の光」というくだりがいいですね。「明(さや)けく」って、いい言葉だなって。
私もこの言葉が好きで、どうしても使いたかったの。ステイホーム期間中に「方丈記」「枕草子」「徒然草」といった古典を読み直していたら、今に通じる言葉や学生の頃の勉強で残っている言葉を見つけまして。そうした沈澱が曲に浮かんできたんです。制作の始めの頃は、ここを曲の出だしにしていたんだけど、プロデューサーと「青春のインパクトが感じられるようなフレーズで始めたいね」と相談しているうちに、「離れる日が来るなんて」という歌い出しが浮かんできて。「現し世(うつしよ)」とか「白骨」とか、どの曲の歌詞にも一番言いたい箇所がありますね。そう言えばよく「文学的」とか安易に言うけれど、たまに「文語だったら文学的なの?」「難しい漢字や四字熟語を使ったら話の筋道が通っていなくても文学的なの?」って意地悪を言って噛みつきたくなる(笑)。
──(笑)。ユーミンの場合は、「絵画的」と言われる局面が多かった気がします。
それを言われてきたのは確かに私くらいだったかも(笑)。
──4曲目の「雪の道しるべ」についてはどうですか?
「私に振り向いた影が 笑っているのだけわかった」というところがお気に入りですね。本当は影だけじゃ笑っているかどうかまではわからないはずなんだけど、それが影だけでわかるのがいいなって。「愛している」も「会いにゆく」も、世界中で何度となく歌われてきた表現だけど、文脈や用途で意味がまったく変わってくるし、1曲1曲、すべて違いますよね。言葉だけだと平易と思える描写も、メロディやサウンド、歌い方を伴うことでがらりと変わる。その好例のような曲だと思います。
──続く楽曲「NIKE 〜 The goddess of victory」で歌われているのはサモトラケのニケのことですね。
プロデューサーから「ギリシア神話をメタファーにしたような詞を書けないかな?」というお達しがあって(笑)。昨年の全日本スキー連盟のイベント(「LIVE SNOW & SNOW JAPAN PRESS CONFERENCE 2019」)で披露した、スノーエリートたちへの壮行曲です。歌詞に登場する「あの丘」のイメージはオリンポスの丘。もし「SURF & SNOW VOLUME TWO」を作っていたら、この曲と「雪の道しるべ」は収録していたんじゃないかな。
──アスリートの世界もショウビジネスの世界も、勝利の女神はいつも「おいでおいで」と手招きをするけれど、それはあくまで片道切符で。
そう。で、あとは何の責任も負わないの(笑)。だけど神に恋して、一度でも栄光を手にしてしまった者は二度と引き返せない。勝利の女神との契約って、つまりは悪魔との契約ってことなのよ(笑)。
──続く「What to do ? waa woo」は自転車をモチーフにした楽曲です。
私は自動車の運転免許を持っていないので、電動自転車が重要なライフラインなんですよ。でも自粛期間明けに乗ろうとしたら、干からびたような状態でパンクしていたの。それで新しい1台を買ったら、プロデューサーが「自転車の歌にすれば?」と。私のソングライティングは昔からメロディ先行型だけど、この曲と「REBORN ~ 太陽よ止まって」を構成している要素のほとんどはプロデューサーが打ち込んだループのトラック。サビの「What to do? waa woo waa woo waa」というコーラスも、トラックのみの時点から入っていましたね。
──ユニット的な制作というか、当世で言えばコライト的な作り方でしょうか。
そうそう。“トラックありき”という作り方が本当にできるのかどうか、最初はかなり不安だったんだけど、それをできる回路もつかみ取りたかったから。松任谷由実名義からはずっとそういうスタイルでやってきたとも言えるけど、完全にユニットというわけでもないし、今回は特にコライトっぽいのかもしれない。もっとも、私たちはアーティストとプロデューサー同士でもあるから互いに意見も言い合うけど、大抵は「ああ、そうですか」と私が直すことの方が多いんですよ。でも自分で書いた曲にはプライドもあるし、もし音楽面で袂を分けたら、曲の権利をどう主張し合えばいいのかしら(笑)。
──何の話ですか(笑)。ちなみに会心の出来に達した際、プロデューサーからはお褒めの言葉がかかったりするのですか?
一切ないですね。ただオッケーだったときの彼は、よりスイートニングに執念を燃やし、曲を映像化する方向に向かいますね。仲良しこよしじゃないんですよ(笑)。
──失礼しました(笑)。ドラマ主題歌の「知らないどうし」はラテン+歌謡のアプローチですね。
自分の中にラテンの引き出しは相当数あるんだけど、強いて言えば「マシュ・ケ・ナダ」(セルジオ・メンデス)のような温度感とイヴァン・リンスのような転調ですかね。
──「降り止まぬ 雨の中」からのパッセージに情感が引き立てられます。
「あの日にかえりたい」でも用いているスケールです。当初、このパッセージのないバージョンを提出したら、ドラマのプロデューサーさんから「ちょっと地味かも?」という意見が返ってきて(笑)。それで松任谷共々、「なにくそ、それなら」と負けん気に火が付いて。
──しかしユーミンともなれば、別にそうしたリクエストにノーを出しても許されると思うのですが、本当にどんな商業的なリクエストも打ち返しますよね。
それは、そんなところで妥協をしても妥協のうちには入らないし、根本が揺るがないという自信があるからですよ。コマーシャルとアートをどのくらい高いレベルで一致させられるか。それが私と松任谷の挑戦の歴史ですから。
──そのテレビドラマ「恋する母たち」は言わば不倫の物語です。不倫を肯定云々ではなく、近年はフィクションを描くにあたってもコンプライアンスが付いて回りがちです。そうした環境にやりづらさを感じたりするような局面はありますか?
私は特にないですね。そもそもそうした抑制とか縛りが存在することって、ある意味、本来とても日本的なことだと思うし。昔だって“夜の生活”とか“肉体関係”っていう言葉って、大したことないんだけど妙にエロくて、なんだか面白かったじゃないですか。英語だと具体的に言わなきゃならないけど、「知らないどうし」という日本語もそれだけで関係性がわかるし、ちょっとエロいのもいいかなって。大サビの歌詞も気に入っているし、情感の表現におけるラテン音楽と日本語の親和性の強さを再認識しました。
──「あなたと 私と」は、オンラインゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」の主題歌として書き下ろされたナンバーでした。
先方からのリクエストは、「ゲームの音楽にとどまらない、大きく、博愛的な曲を」というものでした。直接的には描いていないけど、刀剣の美しさにも改めて気付かされましたので、日本の精神性、文化の素晴らしさを大事にしたいという思いも込めていて。その点では「散りてなお」も同じですね。でも、この曲の雰囲気はどちらかと言えば「1920」「ノートルダム」と同じく、ちょっとヨーロッパ風。イギリスのフォーキーな感じかな。歌詞もメロディも去年の秋、コロナ禍の前に書いたものだったんだけど……。
──まさに現在のコロナ禍の状況と一致しますね。
具体的にはコロナめがけて書いたわけじゃなかったしそっちへ誘導したくもないんですが、結果的にはコロナ禍が終わった頃、くぐり抜けた闇を振り返るような曲になってしまった。これまでも曲が予言のように機能したことはあったけど、さすがにこの曲は自分でもちょっと気味が悪くなりましたよ。
──続く「散りてなお」は、映画「みをつくし料理帖」の角川春樹監督から主題歌制作のオファーを受けて、手嶌葵さんのために書き下ろした曲のセルフカバーです。
手嶌さんの声は想像していた通り素晴らしく、独特の質感でした。その特徴が最初から表れるように「さらさらと」というオノマトペを歌い出しにして。
──角川さんとは、81年公開の映画「ねらわれた学園」の主題歌「守ってあげたい」でタッグを組まれた仲で。
約40年ぶりの召集令状!(笑)
──角川さんからのリクエストは「『春よ、来い』を超える1曲を」だったそうで。
そう(笑)。でも、サビのメロディが浮かんだとき「やった!」と思い、その少しあとに「散りてなお」という言葉が浮かんできたので、「ああ、これで大丈夫だ」って。「現し世(うつしよ)に もう無いのに 誰も消し去れはしない」という歌詞が、そのままこの歌のテーマになった。真価はリスナーに届いてから決まるものだとは思いますが、自分では「春よ、来い」を超えられたと思っていて。これも新しい扉を開けてくれた、大事な1曲となりましたね。
──「REBORN 〜 太陽よ止まって」もラテンなグルーヴです。今作はシーケンシャル、バンド編成、ストリングス、ホーンセクション、パーカッションを巧みに使い分け、主に死の匂いは荘厳なサウンドから、対して生の躍動はラテンやエレクトロのエッセンスから描かれているという印象を受けます。
この期に及んでもなお伸び代を求めますが、そこに進化と姿勢を感じていただきたい(笑)。私は私のファンだけじゃなくて、客観性を持った音楽ファンに広く自分の音楽を届けたいんですよ。この曲ではラテンでよく見られるスキャットの手法も用いながら、コロナ禍を経て「再生する」「生まれ変わる」というイメージで書きました。エレクトロサンバに日本語を乗せることが今カッコいいと私は思っているんですよ。
──と、いうと?
日本語って母音が付いているから喉もすべてその形になるでしょう? 対して英語やポルトガル語は発音の構造からとても音楽的なんですよ。だけどこの曲ではジャムセッションのようなグルーヴのラテンに日本語の歌詞をうまく乗せて歌えたと思う。なかなかやれる人が限られてくるのでは?と自画自賛したくなるほどの手応えを感じています。「黒いオルフェ」と言ってピンときてくれるリスナーには、私が目指した雰囲気をより明快に共有してもらえるのかも。最初、あまりうまく歌えなかったので、ボーカルを徹底的にトレーニングしてね。
──そういえば今作のボーカルは、前作「宇宙図書館」よりも芯が強い気がします。
もっと細かく言うと、強さを抑制できることで細やかなニュアンスを出せるような強化を心がけて、ボーカルを徹底的にテコ入れしたんです。
──着心地のいい楽な服を着るのではなく、流行や先端の服、エッジの効いた服に体のほうを合わせるのがユーミン流とも言える。
そうそう。実際、私は服も本当にそういうスタンスで着ていますからね。
──「Good! Morning」は、初出時から歌詞が一新されています。
朝の情報番組(テレビ朝日「グッド!モーニング」)からオープニング曲のオファーをいただいて歌詞を書いたのが一昨年でした。配信シングル「深海の街」の少し前にレコーディングしたことも手伝って、ちょっとジャズ寄りのアレンジになった。コロナ禍を経て、「Good! Morning」というキーワードをより強く打ち出そうと、歌詞を加筆修正して、ボーカルも録り直した。アルバムのラストにつながる大事な1曲になりました。
──そのラストは、アルバムの表題曲「深海の街」です。この曲も結果的として、配信リリース時とはまた異なる意味合いを持ってしまった。
そうですね。春頃にプロデューサーから「アルバムタイトルにしよう」と提案されて、私も賛成しました。
──曲のイメージは、2018年にベルリンを訪れた際に浮かんだそうですね。
現地でハードなテクノのクラブへ行く機会があって、そのときふと「ハードなDJがチルアウトする時間に聴く曲って面白いかも」と思った。部屋にいながらにしてチルアウト気分やリゾート感覚が味わえるという近未来の“脳内リゾート”というイメージでした。まずは歌い出しのメロディとマイナーナインスのコードが浮かんで、サビの展開で、同じスケールの中でコードがマイナーになったりメジャーになったりするというアイデアにたどり着いたとき、「あ、できた」って。
──配信リリースされた昨年9月は、いわゆる“シティポップ再評価”がちょっと盛り上がりを見せていた頃でもありました。
昔から私の中にもあったシティポップの要素に、より大人っぽく洗練されたAORをプラスして、確信犯的なシティポップをやりたかったんです。ブラックコンテンポラリーのアレンジに乗せて日本語の歌詞を歌うアプローチも、私にとっては70年代後半から80年代初頭に通った道。でも今改めてトライすれば、絶対に新鮮な曲が生まれるという確信があった。日本屈指のプレーヤーたちが一緒だったので安心して臨めましたね。
──こうして全曲を見渡すと、今作はやはり“会えない”ことを前提に、互いの関係性を俯瞰で見ている物語が大半を占めているように感じられます。
やはりこの世相で“メメント・モリ”がより強まったことは確かですね。ただ、そもそも昔から私の音楽は“一緒に暮らしている物語”をあまり求めていないのかもしれないけど。
──来年9月からはアルバムタイトルを冠した全国60カ所のホールツアーが予定されています。
すべてはコロナ次第とも言えますが、まずは「度肝を抜くツアーにしますよ」と書いておいていただけたら(笑)。1つだけ確かなのは、「配信ライブでは決して届けられないステージを全国津々浦々のホールで同じように再現する」ということ。すでに全国から取り寄せたホールのステージ図面とにらめっこしています。
──コロナ禍において、“不要不急”という言葉でエンタテインメントやライブの存在意義も問われました。
初めにもお話した通り、私も春から初夏にかけてはどうしてもモチベーションが湧かなかった。でもどう聴かれようが聴かれまいが、まずは自分のためだから。私は荒井由実名義の時代から、まず私のために、私の物語を書いてきました。そして、その結果として、光栄にも多くの曲を皆さんの“私の物語”にしていただけた。だから、自分自身が本気で感動する音楽さえ作り続ければ、きっと多くの方々にも響くはずだと信じてやってきた。今回もその思いを貫きました。私はおそらく私自身をこのアルバムの制作で立て直せたのだと思います。
──最後に、48年目を迎えたユーミンのキャリアにおいて、改めてこのアルバムはどんな1枚になったと言えるでしょうか?
例え最後のアルバムになっても胸が張れるようなクオリティを目指したつもりです。この時代、もういつどうなるかなんて誰にもわからない。私だって松任谷だって、数年先はわかりません。でもきっと私たち人間には愛しか残らないし、私には音楽しか残らない。私はそう思っています。明確なメッセージこそ歌ってはいませんが、このアルバムの曲からさまざまな死生について考えていただけて、そこから前を向いて、元気になってもらえたらうれしいですね。そして願わくは100年後を生きる人々にこのアルバムを聴いてもらえて、「かつてコロナ禍の真っただ中に、日本のシンガーソングライターが、こんな音楽の記録を残していたのか」と感じてもらえたら、シンガーソングライターとして冥利に尽きます。
第1期
第2期
第3期
https://yuming.fan/photos/album/1392/20201203-%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%8C%E6%9D%BE%E4%BB%BB%E8%B0%B7%E7%94%B1%E5%AE%9F%E3%80%8C%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A7%E5%88%BB%E3%82%93%E3%81%A02020%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%80%8D%E3%80%8D
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Tim Marchin松任谷由実が約4年ぶりのオリジナルアルバム「深海の街」を12月1日にリリースした。世がコロナ禍へと突入した今春、ユーミンは制作と向き合えない精神状態に陥っていた。かつてごく短い期間だけ自ら音楽と距離を置いた時期こそあったが、今回のような閉塞感は48年のキャリアの中でも初の経験だったという。彼女はそんな時間とどのように向き合い、本作を完成させたのか? その制作背景から創作のフィロソフィーまでを聞いた。
取材・文 / 内田正樹
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今記録しないでどうするの?
──本作の制作は初夏からスタートしたそうですが、今春のステイホーム期間はどのように過ごされていましたか?
4月、5月は家から一歩も出なかった。アーティストとしてはまったく機能していなかったし、何よりも人と自由に会えないことが本当につらかったですね。実は昨年から、次のアルバムは「SURF & SNOW」(1980年発売の10thオリジナルアルバム)の40年ぶりの続編「SURF & SNOW VOLUME TWO」にしようと準備を進めていたんです。
──そうだったんですか!?
近未来型の“脳内リゾート”をテーマに、部屋にいながらにしてチルアウト気分やリゾート感覚を味わってもらえるようなアルバムにしようと。でも、そんなムードも新型コロナで一気に吹き飛んでしまって。
──そうでしょうね。そこからはどう過ごされていましたか?
プロデューサー(松任谷正隆)は新たな糸口を見つけようと、ずっと自宅のスタジオで打ち込み作業を続けていましたね。私は家事と自分の体のメンテをしながら、規則正しい生活のリズムを心がけつつ、CDライブラリーをアルファベット順のAから順に漁っていました。毎日、朝は2人でお茶を飲みながら音楽の話題や、そうじゃない話題もいろいろと話し合って。でも、6月になると、私はさらに強い焦燥に襲われてしまって。「今は音楽どころではない」「自分のクリエイティビティはここで錆びついてしまうのか?」。そんなふうに塞ぎ込んでしまうこともありました。
──これまでに同じような経験は?
いえ。デビュー以来、経験したことのなかった閉塞感でした。
──そこからどのように制作へと意識を転換させたのですか?
7月に入って、ライブラリーのLまでたどり着いた頃、無理やり自分を奮い立たせたんですよ。「今のこの思いをしっかり記録しておくべきだ」と。のちの世界史に大きく刻まれるはずの未曾有の年なのに、「今記録しないでどうするの?」と。何より、このまま音楽を作らないと、私はかえって心身をおかしくしてしまうと気が付いて。私にとって創作とは自分を見つめる作業だから、苦しくても自分を見つめなければ未来も見えてこない。まず自分自身を救済してあげないと、何も話が進まない。たとえ発狂のリスクがあるとしても、私自身のために、自分の奥底に深くもぐって何かをつかみ取りにかからなければと思って。
──なるほど。
逆にチャンスだと思うことにしました。来年だと、もしかしたら自分の危機感も薄まっているかもしれないし、もしくはもっと疲れてしまっているかもしれない。今このタイミングでアルバムを出すという行為そのものに、これまで音楽をやってきた自分なりの姿勢を反映させたかった。だから今年中のリリースにこだわって、自宅のスタジオでレコーディングを始めました。
──ご自宅のスタジオというのは、どんな規模感なのでしょうか?
16年前に作ったスタジオで、宅録レベルではなく本格的なレコーディングに対応する規模の設備です。当時、LAで訪れたスタジオを参考に、温かみのあるウッディなリビングの延長にコンソールがあるという感じ。崖の途中に建っている家の地下階にあって、一方が窓、三方が土に埋まった状態です。維持には苦労させられるけど、これを作っておいたのは松任谷(正隆)の先見の明ですね。当時から「これからは自分で発信ができなきゃダメだ」と断言していましたから。私の先見の明と松任谷さんの先見の明はいつもまったく異なる。でもそれがいいんでしょうね。
──制作は順調に進みましたか?
ときどき突き上げられるような不安に襲われ、泣きそうになる場面もありました。それでも年内中にリリースすることに強いこだわりがあったので、なんとかがんばれました。きっとこれから先も忘れない、思い出深いレコーディングになりました。
この世の結界が壊れるような予感
──1曲目は「1920」というタイトルです。これは西暦でしょうか?
はい。今年の5月、私の母が100歳を迎えまして。調べてみると100年前の1920年(大正9年)とその前後の頃って、スペイン風邪とかアントワープオリンピックとか、この2020年との共通項がいくつも見つかって、そこからイメージが広がりました。
──ベル・エポックを経て大恐慌が起こる前夜、言わば“狂騒の20年代”ですね。
そう。歌詞に「ギャツビー」が登場していますが、フィッツジェラルドの「楽園のこちら側」(1920年出版)が昔から好きなので。
──演奏はベースとキーボードのみで奏でられています。
シンプルな編成だけど無心で聴いていたら冒頭のディレイから脳を刺激されて、音の隙間、つまりは“行間”からたくさんの情報が読み取れ、すぐに「アネモネ色」が見え、「振り子時計」の音が聴こえてきました。自分が存在しなかった時代を見てきたかのように描く。そんな行為に自分自身を追い込むことで、新たな扉が開けた思いです。
──続いての「ノートルダム」は、「1920」と連作のような関係性にあると感じられますが。
そうですね。この2曲を書き上げたとき、アルバムの全体像に明確な手応えが感じられました。ディストピアとユートピア、天使と悪魔が同居しているようなパリのノートルダム大聖堂は昔から好きな場所で。でも、去年4月の火災で消失してしまった。そのニュースを観たとき、悲しみと同時にとても不安な、なんだかこの世の結界が壊れるような予感に襲われて。そのときの思いを曲にしました。特に「重なる白骨を引き離すとき 砂になって崩れる」という歌詞は、自分でも究極のロマンティシズムだと思っていて。
──歌詞には今回のコロナ禍の状況も反映されていますね。
ヨーロッパ全体が喪に服しているような情景です。本当の意味でゴシックな描写を落とし込んだ、あまり類を見ないポップスが書けたという自負がある。アルバムの中でも1、2を争うお気に入りのナンバーになりました。パリはとても好きな街だから、また自由に歩けるようになるといいなという願いも込めて。早くあちこち旅ができるようになるといいですね。
プロデューサーからのお達し
──次の楽曲「離れる日が来るなんて」は、歌詞の「白い息が消える空 明(さや)けく星の光」というくだりがいいですね。「明(さや)けく」って、いい言葉だなって。
私もこの言葉が好きで、どうしても使いたかったの。ステイホーム期間中に「方丈記」「枕草子」「徒然草」といった古典を読み直していたら、今に通じる言葉や学生の頃の勉強で残っている言葉を見つけまして。そうした沈澱が曲に浮かんできたんです。制作の始めの頃は、ここを曲の出だしにしていたんだけど、プロデューサーと「青春のインパクトが感じられるようなフレーズで始めたいね」と相談しているうちに、「離れる日が来るなんて」という歌い出しが浮かんできて。「現し世(うつしよ)」とか「白骨」とか、どの曲の歌詞にも一番言いたい箇所がありますね。そう言えばよく「文学的」とか安易に言うけれど、たまに「文語だったら文学的なの?」「難しい漢字や四字熟語を使ったら話の筋道が通っていなくても文学的なの?」って意地悪を言って噛みつきたくなる(笑)。
──(笑)。ユーミンの場合は、「絵画的」と言われる局面が多かった気がします。
それを言われてきたのは確かに私くらいだったかも(笑)。
──4曲目の「雪の道しるべ」についてはどうですか?
「私に振り向いた影が 笑っているのだけわかった」というところがお気に入りですね。本当は影だけじゃ笑っているかどうかまではわからないはずなんだけど、それが影だけでわかるのがいいなって。「愛している」も「会いにゆく」も、世界中で何度となく歌われてきた表現だけど、文脈や用途で意味がまったく変わってくるし、1曲1曲、すべて違いますよね。言葉だけだと平易と思える描写も、メロディやサウンド、歌い方を伴うことでがらりと変わる。その好例のような曲だと思います。
──続く楽曲「NIKE 〜 The goddess of victory」で歌われているのはサモトラケのニケのことですね。
プロデューサーから「ギリシア神話をメタファーにしたような詞を書けないかな?」というお達しがあって(笑)。昨年の全日本スキー連盟のイベント(「LIVE SNOW & SNOW JAPAN PRESS CONFERENCE 2019」)で披露した、スノーエリートたちへの壮行曲です。歌詞に登場する「あの丘」のイメージはオリンポスの丘。もし「SURF & SNOW VOLUME TWO」を作っていたら、この曲と「雪の道しるべ」は収録していたんじゃないかな。
──アスリートの世界もショウビジネスの世界も、勝利の女神はいつも「おいでおいで」と手招きをするけれど、それはあくまで片道切符で。
そう。で、あとは何の責任も負わないの(笑)。だけど神に恋して、一度でも栄光を手にしてしまった者は二度と引き返せない。勝利の女神との契約って、つまりは悪魔との契約ってことなのよ(笑)。
負けん気に火が付いた
──続く「What to do ? waa woo」は自転車をモチーフにした楽曲です。
私は自動車の運転免許を持っていないので、電動自転車が重要なライフラインなんですよ。でも自粛期間明けに乗ろうとしたら、干からびたような状態でパンクしていたの。それで新しい1台を買ったら、プロデューサーが「自転車の歌にすれば?」と。私のソングライティングは昔からメロディ先行型だけど、この曲と「REBORN ~ 太陽よ止まって」を構成している要素のほとんどはプロデューサーが打ち込んだループのトラック。サビの「What to do? waa woo waa woo waa」というコーラスも、トラックのみの時点から入っていましたね。
──ユニット的な制作というか、当世で言えばコライト的な作り方でしょうか。
そうそう。“トラックありき”という作り方が本当にできるのかどうか、最初はかなり不安だったんだけど、それをできる回路もつかみ取りたかったから。松任谷由実名義からはずっとそういうスタイルでやってきたとも言えるけど、完全にユニットというわけでもないし、今回は特にコライトっぽいのかもしれない。もっとも、私たちはアーティストとプロデューサー同士でもあるから互いに意見も言い合うけど、大抵は「ああ、そうですか」と私が直すことの方が多いんですよ。でも自分で書いた曲にはプライドもあるし、もし音楽面で袂を分けたら、曲の権利をどう主張し合えばいいのかしら(笑)。
──何の話ですか(笑)。ちなみに会心の出来に達した際、プロデューサーからはお褒めの言葉がかかったりするのですか?
一切ないですね。ただオッケーだったときの彼は、よりスイートニングに執念を燃やし、曲を映像化する方向に向かいますね。仲良しこよしじゃないんですよ(笑)。
──失礼しました(笑)。ドラマ主題歌の「知らないどうし」はラテン+歌謡のアプローチですね。
自分の中にラテンの引き出しは相当数あるんだけど、強いて言えば「マシュ・ケ・ナダ」(セルジオ・メンデス)のような温度感とイヴァン・リンスのような転調ですかね。
──「降り止まぬ 雨の中」からのパッセージに情感が引き立てられます。
「あの日にかえりたい」でも用いているスケールです。当初、このパッセージのないバージョンを提出したら、ドラマのプロデューサーさんから「ちょっと地味かも?」という意見が返ってきて(笑)。それで松任谷共々、「なにくそ、それなら」と負けん気に火が付いて。
──しかしユーミンともなれば、別にそうしたリクエストにノーを出しても許されると思うのですが、本当にどんな商業的なリクエストも打ち返しますよね。
それは、そんなところで妥協をしても妥協のうちには入らないし、根本が揺るがないという自信があるからですよ。コマーシャルとアートをどのくらい高いレベルで一致させられるか。それが私と松任谷の挑戦の歴史ですから。
──そのテレビドラマ「恋する母たち」は言わば不倫の物語です。不倫を肯定云々ではなく、近年はフィクションを描くにあたってもコンプライアンスが付いて回りがちです。そうした環境にやりづらさを感じたりするような局面はありますか?
私は特にないですね。そもそもそうした抑制とか縛りが存在することって、ある意味、本来とても日本的なことだと思うし。昔だって“夜の生活”とか“肉体関係”っていう言葉って、大したことないんだけど妙にエロくて、なんだか面白かったじゃないですか。英語だと具体的に言わなきゃならないけど、「知らないどうし」という日本語もそれだけで関係性がわかるし、ちょっとエロいのもいいかなって。大サビの歌詞も気に入っているし、情感の表現におけるラテン音楽と日本語の親和性の強さを再認識しました。
約40年ぶりの召集令状
──「あなたと 私と」は、オンラインゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」の主題歌として書き下ろされたナンバーでした。
先方からのリクエストは、「ゲームの音楽にとどまらない、大きく、博愛的な曲を」というものでした。直接的には描いていないけど、刀剣の美しさにも改めて気付かされましたので、日本の精神性、文化の素晴らしさを大事にしたいという思いも込めていて。その点では「散りてなお」も同じですね。でも、この曲の雰囲気はどちらかと言えば「1920」「ノートルダム」と同じく、ちょっとヨーロッパ風。イギリスのフォーキーな感じかな。歌詞もメロディも去年の秋、コロナ禍の前に書いたものだったんだけど……。
──まさに現在のコロナ禍の状況と一致しますね。
具体的にはコロナめがけて書いたわけじゃなかったしそっちへ誘導したくもないんですが、結果的にはコロナ禍が終わった頃、くぐり抜けた闇を振り返るような曲になってしまった。これまでも曲が予言のように機能したことはあったけど、さすがにこの曲は自分でもちょっと気味が悪くなりましたよ。
──続く「散りてなお」は、映画「みをつくし料理帖」の角川春樹監督から主題歌制作のオファーを受けて、手嶌葵さんのために書き下ろした曲のセルフカバーです。
手嶌さんの声は想像していた通り素晴らしく、独特の質感でした。その特徴が最初から表れるように「さらさらと」というオノマトペを歌い出しにして。
──角川さんとは、81年公開の映画「ねらわれた学園」の主題歌「守ってあげたい」でタッグを組まれた仲で。
約40年ぶりの召集令状!(笑)
──角川さんからのリクエストは「『春よ、来い』を超える1曲を」だったそうで。
そう(笑)。でも、サビのメロディが浮かんだとき「やった!」と思い、その少しあとに「散りてなお」という言葉が浮かんできたので、「ああ、これで大丈夫だ」って。「現し世(うつしよ)に もう無いのに 誰も消し去れはしない」という歌詞が、そのままこの歌のテーマになった。真価はリスナーに届いてから決まるものだとは思いますが、自分では「春よ、来い」を超えられたと思っていて。これも新しい扉を開けてくれた、大事な1曲となりましたね。
ボーカルのテコ入れ
──「REBORN 〜 太陽よ止まって」もラテンなグルーヴです。今作はシーケンシャル、バンド編成、ストリングス、ホーンセクション、パーカッションを巧みに使い分け、主に死の匂いは荘厳なサウンドから、対して生の躍動はラテンやエレクトロのエッセンスから描かれているという印象を受けます。
この期に及んでもなお伸び代を求めますが、そこに進化と姿勢を感じていただきたい(笑)。私は私のファンだけじゃなくて、客観性を持った音楽ファンに広く自分の音楽を届けたいんですよ。この曲ではラテンでよく見られるスキャットの手法も用いながら、コロナ禍を経て「再生する」「生まれ変わる」というイメージで書きました。エレクトロサンバに日本語を乗せることが今カッコいいと私は思っているんですよ。
──と、いうと?
日本語って母音が付いているから喉もすべてその形になるでしょう? 対して英語やポルトガル語は発音の構造からとても音楽的なんですよ。だけどこの曲ではジャムセッションのようなグルーヴのラテンに日本語の歌詞をうまく乗せて歌えたと思う。なかなかやれる人が限られてくるのでは?と自画自賛したくなるほどの手応えを感じています。「黒いオルフェ」と言ってピンときてくれるリスナーには、私が目指した雰囲気をより明快に共有してもらえるのかも。最初、あまりうまく歌えなかったので、ボーカルを徹底的にトレーニングしてね。
──そういえば今作のボーカルは、前作「宇宙図書館」よりも芯が強い気がします。
もっと細かく言うと、強さを抑制できることで細やかなニュアンスを出せるような強化を心がけて、ボーカルを徹底的にテコ入れしたんです。
──着心地のいい楽な服を着るのではなく、流行や先端の服、エッジの効いた服に体のほうを合わせるのがユーミン流とも言える。
そうそう。実際、私は服も本当にそういうスタンスで着ていますからね。
確信犯的なシティポップ
──「Good! Morning」は、初出時から歌詞が一新されています。
朝の情報番組(テレビ朝日「グッド!モーニング」)からオープニング曲のオファーをいただいて歌詞を書いたのが一昨年でした。配信シングル「深海の街」の少し前にレコーディングしたことも手伝って、ちょっとジャズ寄りのアレンジになった。コロナ禍を経て、「Good! Morning」というキーワードをより強く打ち出そうと、歌詞を加筆修正して、ボーカルも録り直した。アルバムのラストにつながる大事な1曲になりました。
──そのラストは、アルバムの表題曲「深海の街」です。この曲も結果的として、配信リリース時とはまた異なる意味合いを持ってしまった。
そうですね。春頃にプロデューサーから「アルバムタイトルにしよう」と提案されて、私も賛成しました。
──曲のイメージは、2018年にベルリンを訪れた際に浮かんだそうですね。
現地でハードなテクノのクラブへ行く機会があって、そのときふと「ハードなDJがチルアウトする時間に聴く曲って面白いかも」と思った。部屋にいながらにしてチルアウト気分やリゾート感覚が味わえるという近未来の“脳内リゾート”というイメージでした。まずは歌い出しのメロディとマイナーナインスのコードが浮かんで、サビの展開で、同じスケールの中でコードがマイナーになったりメジャーになったりするというアイデアにたどり着いたとき、「あ、できた」って。
──配信リリースされた昨年9月は、いわゆる“シティポップ再評価”がちょっと盛り上がりを見せていた頃でもありました。
昔から私の中にもあったシティポップの要素に、より大人っぽく洗練されたAORをプラスして、確信犯的なシティポップをやりたかったんです。ブラックコンテンポラリーのアレンジに乗せて日本語の歌詞を歌うアプローチも、私にとっては70年代後半から80年代初頭に通った道。でも今改めてトライすれば、絶対に新鮮な曲が生まれるという確信があった。日本屈指のプレーヤーたちが一緒だったので安心して臨めましたね。
私自身を立て直せたアルバム
──こうして全曲を見渡すと、今作はやはり“会えない”ことを前提に、互いの関係性を俯瞰で見ている物語が大半を占めているように感じられます。
やはりこの世相で“メメント・モリ”がより強まったことは確かですね。ただ、そもそも昔から私の音楽は“一緒に暮らしている物語”をあまり求めていないのかもしれないけど。
──来年9月からはアルバムタイトルを冠した全国60カ所のホールツアーが予定されています。
すべてはコロナ次第とも言えますが、まずは「度肝を抜くツアーにしますよ」と書いておいていただけたら(笑)。1つだけ確かなのは、「配信ライブでは決して届けられないステージを全国津々浦々のホールで同じように再現する」ということ。すでに全国から取り寄せたホールのステージ図面とにらめっこしています。
──コロナ禍において、“不要不急”という言葉でエンタテインメントやライブの存在意義も問われました。
初めにもお話した通り、私も春から初夏にかけてはどうしてもモチベーションが湧かなかった。でもどう聴かれようが聴かれまいが、まずは自分のためだから。私は荒井由実名義の時代から、まず私のために、私の物語を書いてきました。そして、その結果として、光栄にも多くの曲を皆さんの“私の物語”にしていただけた。だから、自分自身が本気で感動する音楽さえ作り続ければ、きっと多くの方々にも響くはずだと信じてやってきた。今回もその思いを貫きました。私はおそらく私自身をこのアルバムの制作で立て直せたのだと思います。
──最後に、48年目を迎えたユーミンのキャリアにおいて、改めてこのアルバムはどんな1枚になったと言えるでしょうか?
例え最後のアルバムになっても胸が張れるようなクオリティを目指したつもりです。この時代、もういつどうなるかなんて誰にもわからない。私だって松任谷だって、数年先はわかりません。でもきっと私たち人間には愛しか残らないし、私には音楽しか残らない。私はそう思っています。明確なメッセージこそ歌ってはいませんが、このアルバムの曲からさまざまな死生について考えていただけて、そこから前を向いて、元気になってもらえたらうれしいですね。そして願わくは100年後を生きる人々にこのアルバムを聴いてもらえて、「かつてコロナ禍の真っただ中に、日本のシンガーソングライターが、こんな音楽の記録を残していたのか」と感じてもらえたら、シンガーソングライターとして冥利に尽きます。
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